誰かが言っているのではない。社会が言っているのだ。

Aという人間がいたとする。

 

 

その人がある真理を求めているという心象風景だとする。

 

そうすると、

引き寄せの法則だったり、

思念は現実化するだったりで、

そういうことを言ってくれる人が現れたりする。

 

そう、だからこの人と出会えた、

この人=Bはすごいと考える。

 

私はこの考え自体が間違っていると考える。

 

そうではない、

これは社会の一つの事象に過ぎない。

 

社会と触れ合う中で、

このAという人が、

ある真理を求めた。

その結果として、

社会の一つのパーツとして

このBという人間が話しているだけである。

 

これは、直接間接を問わない。

 

直接話し聞いたことと、

ネットで調べて知ったこと、見聞きしたことの違いはどこにあるのか。

 

どこにもないのである。

 

とあるBという人物に出会えたことが凄いとなってしまうと、

Aがネット上で自分で調べて知ったことは誰が凄いのか。

 

発信をしているBが凄いのか、

それともそれを調べたAが凄いのか。

 

答えはどちらも凄いである。

 

これこそが、

引き寄せの法則だったり、

思念は現実化する、

理論の本質である。

 

他人なんてどうでもいい。

 

まずは自分を認めろ。

 

情報を仕入れた、

知識をラーニングした、

ノウハウを生み出した、

ノウハウを活かした、

自分の行為を認めろ。

 

社会にさせられていると思うな。

 

社会の一事象を引き寄せている、

自分の方が偉い。

 

その行為がなければ、

社会の一事象は誰にも見向きもされない、

ただの空虚な存在なのだから。

 

 

だから他人など簡単に尊敬するな。

 

自分を尊敬しろ。

 

 

それは、

インフラを使って社会生活を行なっている意味と

変わらない。

 

道路がある。

道路を使わなくても生きていける。

 

人間が生きていくためには、

食物を取ればいいのだから。

 

そうではなく、

道路を使う。

道路を使って移動する。

 

 

移動して、

買い物をする。

 

これが社会生活である。

 

この買い物が服を買ったというものであった場合、

これは既にに文化的活動である。

 

服を着て、ファッションをする、

それは社会活動で

文化的活動である。

 

一つの社会的行為である。

 

自分を認めたくなってきたのではないか。

 

Aというあなたが、

何かをするだけで社会的に意味があるのである。