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不安の生みの親はコンプレックス。

過去の自分に関するコンプレックスや、

親に対するコンプレックスが

不安を生み出している。

 

自分の外に不安の原因があるのではない。

内在している。

人は感情とロジックで意思決定する。

大事なことがもう一つある。

感情とロジックでは、

感情の方がプライオリティは圧倒的に上だ。

社会の大半は劣等感でできている。

社会の大半は、劣等感でできている。
だから劣等感に配慮しなくてはならない。

自他ともにだ。
自分自身がないと思っていても、実は劣等感を潜在的に持っていることはよくあることなのだ。

劣等感は他人より自分が劣っているという感覚。
自我形成のプロセスにおいて、他社との競争が生まれる。
競争だから、勝者・敗者が生まれる。
敗者になったという挫折の心が、劣後感となる、

これを都度克服すれば、次のステージに進める。
しかし、
劣後感がこのままカタルシスに至らなければ、
常在する劣等感となる。

劣等感が強い人は周囲が全て敵に見える。

敵意に満ちた世界に見える。

 

しかし、じゃあ劣等感がない人などどこにいるのだろうか。

 

社会の底辺、というか真ん中周辺から、

下は劣等感持ってる人ばかりだ。

 

人を威圧する。

見下す。

いじめる。

 

となれば、

中の上以上の人だけが、

この劣等感から逃れられている。

 

大半の人は劣等感に苛まれるのだ。

他人を認める、それは相手の伸びしろはないとも言える。

他人をすごいという。

 

そうするとそれまで。

 

まだまだだという。

まだ期待しているわけだ。

伸びしろに期待しているわけだ。

 

逆説的だが、

これ以上ない人はすごいと言っておけ。

 

そうすればイライラしなくなる。

その人がどんなにダメな人であっても。

何で不満があるのか。

それは自分に関して、

理想と現状のギャップがあるからだ。

 

さらにいうと、

自分の現状の延長線上に、

自分の理想がないと、より不満を持つ。

それがその人の精一杯

私は毎日その日のうちには帰れないという仕事に、

5年以上勤めていたことがある。

 

その会社の社員は、お互いのことを、

人はいいんだよね、とよく言っていた。

私も同意する。

 

しかし、みな人当たりがきつい。強い。

 

平たく言えば、きつい言葉をよく投げかけるのだ。

 

私自身もそうであった。

 

それを思い出すと、

その人達はそもそもいい人たちだ、

しかし、仕事上あたりがきつい、

つまり仕事を進める上で、

そうする他ないのだ。

それが限界なのだ。精一杯なのである。

 

にも関わらず、それ以上を求めるというのは、

本来酷なのだ。

 

上司でもない限り、そういったことをする必要はない。

 

もう少し人当たりをよくしないといけないと言ったり、

人当たりが良くないことを、陰で言い合ったり。

 

それがその人の精一杯。

それがその人のパフォーマンスの限界。

 

それ以上を求めたら、

相当に慎重にやらないと、

確実に恨まれる。